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100年前の激動の上海。芥川は直でリアルを目の当たりにし、世相を鮮やかに描写した 【上海游記 11~21 - 芥川龍之介 1921年】 オーディオブック 名作を高音質で

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Title: 100年前の激動の上海。芥川は直でリアルを目の当たりにし、世相を鮮やかに描写した 【上海游記 11~21 - 芥川龍之介 1921年】 オーディオブック 名作を高音質で
Contributing Artist: Sarah4U
Album: 100年前の激動の上海。芥川は直でリアルを目の当たりにし、世相を鮮やかに描写した 【上海游記 11~21 - 芥川龍之介 1921年】 オーディオブック 名作を高音質で - Single
Date: 17 October 2020
Duration: 1 Jam 1 Menit 17.00 detik
Type of file: Audio MP3 (.mp3)
Audio Summary: mp3, 44100 Hz, stereo, s16p, 128 kb/s

往年の文豪、有名な作家たちが残した短編及び長編小説、手記や学説などの日本文学の名作を、高性能な音声合成での読み上げによる朗読で、オーディオブックを画像や動画を交えて作成し配信しています。気に入って頂けましたら、是非ともチャンネルの登録を宜しくお願い致します。

00:00 章炳麟氏
05:23 西洋で
10:29 鄭孝胥氏
16:38 罪悪の事
22:08 南国の美人の上
27:00 南国の美人の中
33:19 南国の美人の下
40:15 李人傑氏
45:39 日本人
50:48 徐家の事
56:09 最後の一瞥


■一部抜粋
十一 章炳麟氏
 章炳麟氏の書斎には、如何なる趣味か知らないが、大きな鰐の剥製が一匹、腹這いに壁に引っ付いている。
が、この書物に埋まった書斎は、その鰐が皮肉に感じられる程、言葉通り肌に沁みるように寒い。
尤も当日の天候は、発句の季題を借用すると、正に冴え返る雨天だった。
其処へ瓦を張った部屋には、敷物もなければ、ストオヴもない。
坐るのは勿論蒲団のない、角張った紫檀の肘掛椅子である。
おまけに私の着ていたのは、薄いセルの間着だった。
私は今でもあの書斎に、坐っていた事を考えると、幸にも風を引かなかったのは、全然奇蹟としか思われない。

 しかし章太炎先生は、鼠色の大掛児に、厚い毛皮の裏のついた、黒い馬掛児を一着している。
だから無論寒くはない。
その上氏の坐っているのは、毛皮を掛けた籐椅子である。
私は氏の雄弁に、煙草を吸う事も忘れながら、しかも氏が暖そうに、悠然と足を伸ばしているのには、大いに健羨に堪えなかった。

 風説によれば章炳麟氏は、自ら王者の師を以て任じていると云う事である。
そうして一時はその御弟子に、黎元洪を選んだと云う事である。
そう云えば机の横手の壁には、あの鰐の剥製の下に、「東南撲学、章太炎先生、元洪」と書いた、横巻の軸が懸っている。
しかし遠慮のない所を云うと、氏の顔は決して立派じゃない。
皮膚の色は殆黄色である。
口髭や顋髯は気の毒な程薄い。
突兀と聳えた額なども、瘤ではないかと思う位である。
が、その糸のように細い眼だけは、――上品な縁無しの眼鏡の後に、何時も冷然と微笑した眼だけは、確に出来合いの代物じゃない。
この眼の為に袁世凱は、先生を囹圄に苦しませたのである。
同時に又この眼の為に、一旦は先生を監禁しても、とうとう殺害は出来なかったのである。

 氏の話題は徹頭徹尾、現代の支那を中心とした政治や社会の問題だった。
勿論不要とか「等一等」とか、車屋相手の熟語以外は、一言も支那語を知らない私に議論なぞのわかる理由はない。
それが氏の論旨を知ったり、時々は氏に生意気な質問なぞも発したりしたのは、悉週報「上海」の主筆西本省三氏のおかげである。
西本氏は私の隣りの椅子に、ちゃんと胸を反らせた儘、どんな面倒な議論になっても、親切に通訳を勤めてくれた。
(殊に当時は週報「上海」の締切り日が迫っていたのだから、私は愈氏の御苦労に感謝せざるを得ないのである。)
「現代の支那は遺憾ながら、政治的には堕落している。
不正が公行している事も、或は清朝の末年よりも、一層夥しいと云えるかも知れない。
学問芸術の方面になれば、猶更沈滞は甚しいようである。
しかし支那の国民は、元来極端に趨る事をしない。
この特性が存する限り、支那の赤化は不可能である。
成程一部の学生は、労農主義を歓迎した。
が、学生は即ち国民ではない。
彼等さえ一度は赤化しても必ず何時かはその主張を抛つ時が来るであろう。
何故と云えば国民性は、――中庸を愛する国民性は、一時の感激よりも強いからである。」
 章炳麟氏はしっきりなしに、爪の長い手を振りながら、滔々と独得な説を述べた。
私は――唯寒かった。

「では支那を復興するには、どう云う手段に出るが好いか? この問題の解決は、具体的にはどうするにもせよ、机上の学説からは生まれる筈がない。
古人も時務を知るものは俊傑なりと道破した。
一つの主張から演繹せずに、無数の事実から帰納する、――それが時務を知るのである。
時務を知った後に、計画を定める、――時に循って、宜しきを制すとは、結局この意味に外ならない。……」
 私は耳を傾けながら、時々壁上の鰐を眺めた。
そうして支那問題とは没交渉に、こんな事をふと考えたりした。
――あの鰐はきっと睡蓮の匂と太陽の光と暖な水とを承知しているのに相違ない。
して見れば現在の私の寒さは、あの鰐に一番通じる筈である。
鰐よ、剥製のお前は仕合せだった。
どうか私を憐んでくれ。
まだこの通り生きている私を。

十二 西洋
 問。上海は単なる支那じゃない。同時に又一面では西洋なのだから、その辺も十分見て行ってくれ給え。公園だけでも日本よりは、余程進歩していると思うが、――
 答。公園も一通りは見物したよ。仏蘭西公園やジェスフィルド公園は、散歩するに、持って来いだ。殊に仏蘭西公園では、若葉を出した篠懸の間に、西洋人のお袋だの乳母だのが子供を遊ばせている、それが大変綺麗だったっけ。だが格別日本よりも、進歩しているとは思わないね。唯此処の公園は、西洋式だと云うだけじゃないか? 何も西洋式になりさえすれば、進歩したと云う訣でもあるまいし。
 問。新公園にも行ったかい?
 答。行ったとも。しかしあれは運動場だろう。僕は公園だとは思わなかった。
 問。パブリック・ガアデンは?
 答。あの公園は面白かった。外国人ははいっても好いが、支那人は一人もはいる事が出来ない。しかもパブリックと号するのだから、命名の妙を極めているよ。
 問。しかし往来を歩いていても、西洋人の多い所なぞは、何だか感じが好いじゃないか? 此も日本じゃ見られない事だが、――
 答。そう云えば僕はこの間、鼻のない異人を見かけたっけ。あんな異人に遇う事は、ちょいと日本じゃむずかしいかも知れない。
 問。あれか? あれは流感の時、まっさきにマスクをかけた男だ。――しかし往来を歩いていても、やはり異人に比べると、日本人は皆貧弱だね。
 答。洋服を着た日本人はね。
 問。和服を着たのは猶困るじゃないか? 何しろ日本人と云うやつは、肌が人に見える事は、何とも思っていないんだから、――
 答。もし何とか思うとすれば、それは思うものが猥褻なのさ。久米の仙人と云う人は、その為に雲から落ちたじゃないか?
 問。じゃ西洋人は猥褻かい?
 答。勿論その点では猥褻だね。唯風俗と云うやつは、残念ながら多数決のものだ。だから今に日本人も、素足で外へ出かけるのは、卑しい事のように思うだろう。つまりだんだん以前よりも、猥褻になって行くのだね。
 問。しかし日本の芸者なぞが、白昼往来を歩いているのは、西洋人の手前も恥入るからね。
 答。何、そんな事は安心し給え。西洋人の芸者も歩いているのだから、――唯君には見分けられないのさ。
 問。これはちと手厳しいな。仏蘭西租界なぞへも行ったかい?
 答。あの住宅地は愉快だった。柳がもう煙っていたり、鳩がかすかに啼いていたり、桃がまだ咲いていたり、支那の民家が残っていたり、――
 問。あの辺は殆西洋だね。赤瓦だの、白煉瓦だの、西洋人の家も好いじゃないか?
 答。西洋人の家は大抵駄目だね。少くとも僕の見た家は、悉下等なものばかりだった。
 問。君がそんな西洋嫌いとは、夢にも僕は思わなかったが、――
 答。僕は西洋が嫌いなのじゃない。俗悪なものが嫌いなのだ。
 問。それは僕も勿論そうさ。
 答。※42-88-74をつき給え。君は和服を着るよりも、洋服を着たいと思っている。門構えの家に住むよりも、バンガロオに住みたいと思っている。釜揚うどんを食うよりも、マカロニを食いたいと思っている。山本山を飲むよりも、ブラジル珈琲を飲み――
 問。もうわかったよ。しかし墓地は悪くはあるまい、あの静安寺路の西洋人の墓地は?
 答。墓地とは亦窮したね。成程あの墓地は気が利いていた。しかし僕はどちらかと云えば、大理石の十字架の下より、土饅頭の下に横になっていたい。況や怪しげな天使なぞの彫刻の下は真平御免だ。
 問。すると君は上海の西洋には、全然興味を感じないのかい?
 答。いや、大いに感じているのだ。上海は君の云う通り、兎に角一面では西洋だからね。善かれ悪かれ西洋を見るのは、面白い事に違いないじゃないか? 唯此処の西洋は本場を見ない僕の眼にも、やはり場違いのような気がするのだ。

十三 鄭孝胥氏
 坊間に伝うる所によれば、鄭孝胥氏は悠々と、清貧に処しているそうである。
処が或曇天の午前、村田君や波多君と一しょに、門前へ自動車を乗りつけて見ると、その清貧に処している家は、私の予想よりもずっと立派な、鼠色に塗った三階建だった。
門の内には庭続きらしい、やや黄ばんだ竹むらの前に、雪毬の花なぞが匂っている。
私もこう云う清貧ならば、何時身を処しても差支えない。

 五分の後我々三人は、応接室に通されていた。
此処は壁に懸けた軸の外に殆何も装飾はない。
が、マントル・ピイスの上には、左右一対の焼き物の花瓶に、小さな黄龍旗が尾を垂れている。
鄭蘇戡先生は中華民国の政治家じゃない、大清帝国の遺臣である。
私はこの旗を眺めながら、誰かが氏を批評した、「他人之退而不隠者殆不可同日論」とか云う、うろ覚えの一句を思い出した。

 其処へ小肥りの青年が一人、足音もさせずにはいって来た。
これが日本に留学していた、氏の令息鄭垂氏である。
氏と懇意な波多君は、すぐに私を紹介した。
鄭垂氏は日本語に堪能だから、氏と話をする場合は、波多村田両先生の通訳を煩わす必要はない。

 鄭孝胥氏が我々の前に、背の高い姿を現わしたのは、それから間もなくの事だった。
氏は一見した所、老人に似合わず血色が好い。
眼も殆青年のように、朗な光を帯びている。
殊に胸を反らせた態度や、盛な手真似を交える工合は、鄭垂氏よりも反って若々しい。
それが黒い馬掛児に、心もち藍の調子が勝った、薄鼠の大掛児を着ている所は、さすがは当年の才人だけに、如何にも気が利いた風采である。
いや、閑日月に富んだ今さえ、こう溌剌としているようじゃ、康有為氏を中心とした、芝居のような戊戌の変に、花々しい役割を演じた頃には、どの位才気煥発だったか、想像する事も難くはない。

 氏を加えた我々は、少時支那問題を談じ合った。
勿論私も臆面なしに、新借款団の成立以後、日本に対する支那の輿論はとか何とか、柄にもない事を弁じ立てた。
――と云うと甚不真面目らしいが、その時は何も出たらめに、そんな事を饒舌っていたのではない。
私自身では大真面目に、自説を披露していたのである。
が、今になって考えて見ると、どうもその時の私は、多少正気ではなかったらしい。
尤もこの逆上の原因は、私の軽薄な根性の外にも、確に現代の支那その物が、一半の責を負うべきものである。
もし※42-88-74だと思ったら、誰でも支那へ行って見るが好い。
必一月といる内には、妙に政治を論じたい気がして来る。
あれは現代の支那の空気が、二十年来の政治問題を孕んでいるからに相違ない。
私の如きは御丁寧にも、江南一帯を経めぐる間、容易にこの熱がさめなかった。
そうして誰も頼まないのに、芸術なぞよりは数段下等な政治の事ばかり考えていた。




十四~二十一(省略:続きは動画でお聞きください。)

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